ひとそれぞれの祈りがあり、
それはとても固有的で不可侵なものである。
「物語」はそれらを超えて人の心に届く、最高のメディア。
子供の頃、大人を真似たのだろう、祈りの仕草を覚えた。
けれども祈りの意味が解っていたわけではなかった。その後も祈りについて思索をしたりはしなかった。
つまり、祈りについて深くは考えず日々を過ごしてきたのだった。 ところが、いつの頃からだろうか。意識しないうちに空を見上げ、地に視線を送り、ときに十字を切っている自分がいることに気づいた。十字はミッションに通っていた中学生のとき、ミサに参加して覚えたものだった。この仕草がぼくのなかで何の抵抗もなくスムースにできたことに驚いた。ぼくのなかで何かが変ったのだろうか。人には宿命に対する諦めと、それでもなお安らぎへの希求があるのだろう。祈りには節理、永遠、静寂、神秘などがオーバーラップしている。いのちもまたその内にある。 祈りはこころとからだの安穏への透明な願望なのだとぼくは考えはじめている。
出典:「新しい祈りのかたち」(発行 アルテマイスター)