ひとそれぞれの祈りがあり、
それはとても固有的で不可侵なものである。
「物語」はそれらを超えて人の心に届く、最高のメディア。
人間が心を鎮めて時間というものを考えると、われわれは激しい混乱の中に見つめるより、数々の反対の要素より、比較的空間に近い要素の集まりくるものの状態を考える。 従って、人間の心の中の求心的一点に据えて精神を集中させる。
自然民族の中にあっては、火または炎のなかに、神経を集中する。ここに祈りが成立する。ガストン・バシュラールは『蝋燭の火』と題する著書の中で述べているように、炎という観念が人間の心を集中させると同時に、複雑な形の集合を統一してさまざまの動きを据えて「祈り」という形で迎える火の動きは、心の連結性と瞬間性という人間の究極の状態の動きである。
文化のなかで、無という心の動きを炎の中に見出して祈るのが自然なのだろう。仏壇のなかに蝋燭をともす。クリスマスにたくさんの蝋燭のひかりを望む。
そして、広島の川に流す灯篭の炎の数だけ、平和を祈る。
というのが、一番身近な祈りなのではないだろうか。
出典:「新しい祈りのかたち」(発行 アルテマイスター)